8/22「物件」

    昨日、急にアトリエ兼本屋がやりたいと思い立ち、今日は気になった物件を見に行った。急に、とは言っても本屋自体は前々からやりたい気持ちはあった。しかし、昨年のコロナ禍でいま店舗を持つことに躊躇する部分があって先延ばしにしていた。ただ昨年から絵を描き始めたことで作品が増えて家が手狭になってきてどこかにアトリエを持ちたくなり、さらに、本もだいぶ増えてきてそろそろ限界というところもあるので、とりあえずアトリエをつくって、その後、古物商をとったら古本売買、できたら私家版詩集やZINEの新本を置く形にできないか。そんなふうなことを思った。で、思い立ったが吉日、ってんで、電話して物件を見に行った。駅近いし家賃は東京にしては格安、室内の大きさもちょうどよかったのだけど、入り口がわかりにくい、というか、庭の木や草が生え放題で2023年に建物を建て壊す予定とのことだったので、やれて今年の残りと来年。思い切ってやってしまうのも手だがこれが一件目だし、もっと他の物件も見た方がよかろうと保留することに。で、夜はその話や本屋についての話をスペースで一人語りした。先週の川村のどかさんとの二人でのスペースとは違う感じになりそうだと想像してたけどやってみるとやっぱなんか違った。ずっと一人だと休めないし同じことをぐるぐる話してる気がしたし、前回はレジュメを作ったけど今回は何も用意せず思うままに話したから思考するより前に言葉が出てくるみたいな状態で、文章で言うところの初稿みたいで、誤字脱字というより根本のところで抜けが出ているところもあった。にもかかわらず、聴いてくれる方々がいてとてもありがたかった。これからも物件は探していくけど情報の更新はスペースで継続するつもりでいる。どうなるかは本当にわからない。一人だったらあまり考えずに行動を移すが家族もあるので自分一人で全部を決められることではないので。スペースを聴いてくださった方に、NENOiでの個展を楽しみにしているとおっしゃってもらえて嬉しかった。準備は粛々と進めている。新しいことをするのも大切だが、すでに決まっていることをしっかりこなすことも必要だろう。やるべきことをやっていく、という当たり前のことを改めて実感した日だった。

8/18「文芸評論」

群像新人文学賞評論部門優秀作の田中弥生「乖離する私ーー中村文則」を図書館で借りて久々に読んだ。田中弥生の小説の読み方はそれが正しいか間違っているかはともかくとにかく意外性に満ちてて面白い。ここまで誤読を恐れない文芸評論家を私は知らなくて読むと元気になる。もっと作品を読みたかった。

    とTwitterでつぶやいたら、豊崎由美さんに引用リツイートされたりもしてて、けっこう反応があった。

    文芸評論家の田中弥生さんは2016年に若くして亡くなっている。「乖離する私」を読んで以来、ずっと注目していた文芸評論家だったので亡くなったと知った時はショックだった。単著は『スリリングな女たち』の一冊だけだがこの本もタイトルのようにかなりスリリングな文芸評論になっている。田中弥生の読解は、論のメインになるアイディアが破壊力があるのが特徴だ。ミステリで例えるならエラリー・クイーンのように美しく細かいロジックで詰めていき感心させるのではなく、ディクスン・カーのようなインパクトのあるトリックを放って驚かせて風呂敷を広げあとはやや強引に畳むみたいなイメージ。突拍子がないのだけど想像力豊かで楽しいアイディアは、ちょっとそれは強引だし無理があるのでは?と読んでいて納得いかなかったりハラハラしたりすることもあるのだが、マジックというよりイリュージョンのようなスケールの大きさで小説を読解するさまは、とにかく読んでてワクワクできて楽しい。わたしに小説を読む楽しさを教えてくれた書き手なのは間違いない。こういうふうに作品を自分の側に引き寄せて評論を書いたら楽しいだろうな~、と思っていたことを久々に思い返して、自分でも文芸評論をまた書いてみたい気持ちが出てきた。一応、今年は初めて群像新人評論賞(今年で終わりとのこと)には応募していて、すばるクリティークにも出してみたいと思っていたが、なんやかやいろいろやっているうちに〆切の二週間前になってしまった。このまえ、短歌の笹井宏之賞に応募したので満足して公募はもういいかな~と思ってしまったのもある。でも思い立ったが吉日というし、やりたいときはやる、というのが自分のスタンスなのでどうなるかわからないが、8/31の〆切の日は有給を取ることにした。まあなんかそんなノリだ。楽しく創作するのが一番なので今はそんな状況。それにしても読書に関して文芸評論や批評を読むのが、どんどん好きになってきている。小説とちがって一回で理解できることなんてないから何度も読み返したい。『スリリングな女たち』もそうだが、山城むつみ『文学のプログラム』や佐々木敦『私は小説である』は今後もずっと読んでいくんだと思う。

8/15「スペース」

    21時から川村のどかさんと『太宰治賞 2021』の全作レビューをスペースで行った。スペース自体一度もやったことがなかったのでちゃんとできるか不安な部分もあり、最初に間違って一度退出してしまったりもしたけど、なんとか無事に始めることができ終わらせることもできた。作品は四作品で大体一作あたり三十分で計二時間話をした。小説の読書会をするの自体が大学生の時のサークル以来だった。川村さんからできるだけネタバレ無しで掲載順で感想を言っていきましょうという提案があったのでそうした。作品ごとに簡単なあらすじを最初に順番で話すというのは、わたしからの提案で、群像の創作合評が頭にあったからだ。あれはかなり長めで詳細なあらすじだけど、ネタバレも含んでしまうので短めに最後まではいかないあらすじにすることに決めていた。

    受賞作「birth」と「私鉄系第三惑星」は、選評でも最後まで争ったというだけあり、わりと細かく読んで比較をしたのだがそれによりエネルギーを消費したため、やや「三月の子どもたち」と「月をたれたる」は、細かい部分より全体の流れや構成を話すという形にわたしの話はなっていたかもしれない。ただそこは一人で話しているわけでなく、二人でやれる強みというか、川村さんにうまい具合に捕捉してもらって進行できたんじゃないかと思う。ところどころタイトルや人名、地名などを言い間違えた箇所もあり申し訳なかったけれど、楽しく最後までできてよかった。何より話を聴いてくれた方々に感謝。出たり入ったりする方がいてこれがスペースなんだなーと思ったり、中には最初から最後まで聴いてくれる方もいて、「私鉄系第三惑星」の著者の長澤沙也加さんにも最初から最後まで聴いていただけた。本当にうれしかった。そしてどの作品も魅力があったから楽しく話せたので四作品にも心より感謝。

    わたしは普段、詩歌や絵をメインに活動してるけど、小説の批評をメインにしている川村さんとこうして話せたのはとても良い経験になった。また機会があったらやりたいです。

    妻が日中出掛けていて、子どもと二人きりだったんだけどすごくよく寝てくれて夜のスペースの準備もできて助かったが、この時間になっても全然寝てくれず、スペース終わってからずっとあやしていた。だけど、あ、たぶん、寝るなこいつって思ったら、いま、寝てくれた。ほっ。

8/12「20%OFF」

    ブックオフのアプリからアプリ会員は本が全品20%OFFと通知が来たので仕事帰りに行ってみることにした。向かったのは江古田店。ブックオフ好きには知られてると思うが江古田店の品揃えはいつ行っても素晴らしい。本を丁寧にあつかっていて、上下巻や全巻セットがきれいにパッケージされて販売されてるのも魅力。今日見たなかでは、ちくま文庫の『失われた時を求めて』全10巻は状態不良でも3300円は安くてお買い得だと思った。状態不良のわりにはきれいめで、しかもここから20%OFFだから買って損はないが、わたしはすでに持っている。なので、集英社文庫の『ユリシーズ』全4巻3000円を20%OFFの2400円で買った。これはつまり良い買い物だった。
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失われた時を求めて』や『ユリシーズ』を読み切ったらさぞ満足感がすごいだろうからぜひやりたいのだが、創作をしていると他に読みたい本が出てくるから大長編はなかなか読むことができない。大長編を読みながら他の本も並行して読んでいくというのがいちばん現実的なやり方なんだろうが、それでもなんかちょっと気合いを入れないと読み出せないみたいなところがある。そもそもこの日記は夏目漱石全集の読破を目標に始めたのだが、完全に停滞してしまっている。一年で終わらせるつもりがまだ10巻中3巻を読み終えただけでもう八月になってしまった。こりゃまずい。どうにかしなくちゃ。個展が終わったら十月からの三ヶ月間はインプット期間でも良いかもわからない。

    今朝、川村のどかさんがツイートしていたが、15日(日)21:00~『太宰治賞 2021』全作レビューの読書会を川村さんとスペースでやることになった。スペースをやるのは初めてで勝手がわからないのだが大丈夫だろうか。まあどうにかなるか。普段はページを折ったり、付箋紙をはったりすることはあっても、書き込みは一切しないのだけれど、今回はなるたけスムーズに話せるように気になる文章には線を引き、読みながら考えたことをばんばん書き込んでいる。本というよりテキスト、たまにはこういう読書も楽しい。

8/10「感銘」

    どこで読んだのか探してみたけれど見つからない。アメリカの詩人・哲学者エマーソンのことばだと思う。いたく感激したのだけれども正確には覚えていない。大意だけ言うと、「自分が心を動かされた本と同じようなやり方で、自分の本も読まれたい」といった内容だ。

    言われてみれば、こうして原稿を書いているとき、おそらく自分も、(僭越とは承知のうえ、それでも)遠い昔になにかを読んで感銘を受けたときの感覚をもって人に読まれたいと思っているような気がしなくもない。逆に言うと、なんらかの表現を通して、人になにかを伝えようとするとき、誰もが過去に自分の心が動いたときの感覚をなぞりながら、なんとかそれを自分の手でほかのひとにもたらすことができないかと四苦八苦しているのだということを、このことばは教えてくれているように思う。

若林恵『さよなら未来』岩波書店p.91~p.92

 

〈……感銘を受けたときの感覚を持って人に読まれたいと思っているような気がしなくもない。〉という言葉を目にした時に、そういえばわたしが日記を書きはじめたのはそもそも『読書の日記』に感銘を受けたからで、作者の阿久津隆の日々楽しく読書するさまに心をうたれて、とにかく自分ももっと楽しく読書ができるはずだと明らかに読書に対する姿勢が変わったあの瞬間を思い出したのだ。それと同様に『さよなら未来』からにもやはり感銘を受けている。いまむしょうに文章が書きたくなっているし、本が作りたくなっている。いまこの『さよなら未来』を読んでいる時間は今後に繋がってくるという予感がはっきりとある。心が動かされているのがわかる。詳細をことばにするのはむずかしい。というか、ことばにする必要がない。ゆるやかに感じ取ったまま、それを自分のやり方で出力すればそれがことばになり、文章になり、作品になる。本当に自分とフィットする良いものと出逢うと迷いがなくなる。とても良い状態だ。

    今朝は第4回阿波しらさぎ文学賞の受賞作の発表があった。受賞者は昨年のブンゲイファイトクラブ2の予選のGグループで一緒で対戦したこともある、なかむらあゆみさんだった。最終候補作の発表時には同じくGグループだった奈良原生織さんの名前もあり、興奮したのだが、今日なかむらさんの受賞を知りまた興奮した。なかむらさんにお会いしたことはないのだけれどBFC2の最中からTwitterで何度かやり取りさせてもらっている。Gグループのきさめさんや如実さんとも会って話をしたことがあって楽しかった思い出がある。なかむらさんともいつかお会いできたらいいなと思う。なかむらさん、受賞おめでとうございます。

    あと『読書のおとも』つながりでいうと奈良原さんだけじゃなく海乃凧さんも最終候補に残っていた。凧さんは最近日記を書いているみたいで、読んだらやっぱり面白い。文章でぐんぐん読ませるところは、滝口悠生を思わせるところもある。文学フリマ後の『読書のおとも』のオンライン打ち上げで、凧さんの長い息遣いのスピードに乗った文章は柿内正午さんと類似してるところがあるみたいな話になったけど、柿内さんみたいにぐんぐん読める日記にふさわしい文章という気がするのでどんどん書いていつか本になってほしい。

     そういえばこの打ち上げを思い出すとTwitterのイメージとじっさい会った本人のイメージがちがうという話も思い出される。柿内さんがわたしを文学青年みたいな硬い印象を持ってたけど会ってみたらじっさいはスポーツマンタイプだった、みたいな。そのなかで二見さわや歌さんが文学フリマにきた柿内さんの格好がカラフルでカッコいい感じで思ってた印象とちがったらしく、鞄持った通勤中の会社員みたいなのが来ると思ってたという話に笑ったし、いま思い出しても笑える。

    先ほどTwitterPippoさんがわたしの絵にコメントをつけてくれていてうれしかったし、ありがたかった。
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夏の空は刻々と姿を変える。その姿を紙のうえに定着させたい。

8/9「活動の記録」

    昨晩、ふと思ったんだけど何年かかってもいいからエッセイやコラムを書きためて一冊の鈍器本をつくりたくなった。鈍器本といってもハードカバーで分厚いと重いからソフトカバーがいいかもな、なんてことを昨日買った『さよなら未来』をパラパラやりながら考える。なんなら対談や往復書簡をやって全部混ぜて闇鍋的書物を生成してもいい。これから先、長いこと活動していくつもりだから、その『活動の記録』がそのまま本になったら面白いかなと思う。

    そして活動といえば、絵を描きはじめてそろそろ一年が経とうとしている。もう何枚描いたのか把握してないが、たぶん200枚くらいは描いてるんじゃないだろうか。継続は力なり、で、やり続けるといろいろなことが起こる。一年前では考えられなかったが、今では個展をひらいているし、絵をほしいと言ってもらったり、じっさい、買ってもらえることもあった。とてもうれしかった。わたし自身としては、絵を描くことは小説を書くのと同様である。絵の形をした小説。だから絵は本屋に並べてもらえるのが一番だ。来月にそれを実現できるのが楽しみでならない。

    絵をみるのは好きだけど買って部屋に飾るというひとはなかなかいない。絵を美術館に観に行くのはもちろん素晴らしい体験だが、自分の部屋に飾っていつも見られるというのは特別な体験である。絵はそんなに安いものではない。それでも本当に気に入った絵を無理をしてでも買うことは大きな体験であり、さらにその先には日々を彩る喜びが待っている。今度の個展をやることで、絵をみることや絵を買うこと、そして絵を描くことの敷居が下がって、絵が日常のもの、になる人が一人でもいたらうれしい。もちろんわたしの絵でなくていいのだけど、好きな絵を家に飾る人が増えたら。

    絵を描くこと、についてもいつか文章にしてみたい。画集も画家の文章もこの一年で読む機会が著しく増えた。書きたいことはたくさんある。

8/8「ラスト夏休み」

    夏休みが明日で終わる。といっても、遠出ができるわけでもないので、育児をする合間に読書するのがメインで本はいろいろ読めた。文芸誌からの原稿依頼が一本あり、それの資料を読んでいた。〆切まではまだあるんだけどそろそろ取りかかる予定。あとはまあ、読みたいものを読んでいた。怪奇幻想系を読みたい時はジョー・ヒル『怪奇疾走』を読んだが、親父のキングとの共作「スロットル」がスピルバーグの『激突!』のオマージュなのだけど、登場人物の誰にも共感できない無茶苦茶な内容と展開のB級サスペンスで笑った。その次の「闇のメリーゴーラウンド」も読んだが、これは超常現象系の真っ当なホラーだけど襲ってくるのがメリーゴーラウンドの馬だから全然怖くない。そんなジョー・ヒルブラッドベリが好きらしくて、それを読んでたら読みたくなって『太陽の黄金の林檎』を引っ張り出してきて「霧笛」を読み返したらこれは本当に名作。こういう短い小説が書けたらいいなあ、と思うけど書けるはずもなく、俺は小説を読んで書評を書いてる方が向いてると佐々木敦の『批評王』や『ゴダール原論』を読んだりもしたが、なんといっても、友田とんさんの代わりに読む人の新刊、わかしょ文庫さんの『うろん紀行』が面白い。一話一話、読む小説と行き先が変わることによって少しずつ文章の気配が変わる。これは『ランバダ』の時から感じてたことなんだけど、詳しくはそのうちnoteに書評で書けたらいいなと考えている。書評を書きたいといえば、いま『太宰治賞 2021』という受賞作を含む最終候補作四作が載っているムック本の中の三作を読み終えた。これが受賞作だけじゃなく他の二作も大変読みごたえがあって面白かったのでこの本についても書きたいが、これはもしかしたらTwitterのスペースを使用するのもありかも。でもちょっと今日もスペースやってみようとしたら、まだ子どもが小さくて声に反応してすぐ起きるからできるかはわからない。できてないといえばこの日記を書くのが久しぶりで夏目漱石全集もぜんぜん読めておらず、予定通りいかない焦りも感じているが、まあ、やれることをやるしかない。やらなきゃいけないのはさいしょに書いた原稿と9月17日から9月30日までの二週間、早稲田の本屋、NENOiでやる絵の個展。自分で全部やる一日だけの個展は三度やったけど、どこかの力を借りて二週間の長い期間やるのははじめてなのでどうなるんだろうと、不安がないわけじゃないが、はるかに楽しみなことが多い。ZINEをつくって活動を始めたのは去年の三月だから、そこから一年半でけっこう面白いことになってきたが、まだまだここからだ。そんな気持ちだが夏休みはもう明日で終わる。今日買った本は、『さよなら未来』。