1/8「大団円」

吾輩は猫である』を読み終えた。無茶苦茶おもしろかった。最後は大団円。読み始めてわりとすぐに、この小説は議論で物語を推進させていると感じていたが、最後は主要登場人物が一堂に会して議論するのだからその趣向が堪らない。『漱石全集を買った日』を読んで滑稽さやユーモアのある作品という予備知識はあったが、他はほとんど知らないまま読んでいたので、読むうちに構成が秀逸な小説だと思っていたが、解説を読むと、元々、漱石は『吾輩は猫である』を一回読み切りのつもりで書いたらしく、好評だったから書き継ぐうちにこの長さになってしまったようだ。

    それだから第六までをまとめて、上巻として最初の単行書にした時、その序文で、漱石は「趣向もなく、構造もなく、尾頭の心もとなき海鼠のような文章であるから、たといこの一巻で消えてなくなったところで、一向差支えはない」〉といっている。そういう、いわば小説らしくない小説、筆にまかせて、云いたいことを何でも云うという式の、全体の構想などにさして頓着しないものであったからこそ、漱石は自由な知的ディレッタンティズムを楽しみ得た、ともいい得る。文明批評をこころみたり、俗物やブルジョア趣味に対する癇癪を爆発させたり、時には理論や観念をもてあそんで、一種のユーモラスな風刺文学を創造し得たのである。

夏目漱石夏目漱石全集 1』ちくま文庫p.566

 

    天才の考えに凡人はついていけないが、それでも〈「趣向もなく、構造もなく」…〉のことばには、「ウソつけこの野郎」と言いたい。それくらい、この小説はわたしにはどう考えても構成がすばらしい。前回書いた主人公の猫の語りの秘密や主人の家に入った泥棒の話の伏線回収や大団円の趣向、さらにはその先のオチなど挙げたらキリがない。〈筆にまかせて、云いたいことを何でも云うという式〉というのはたしかに雰囲気から伝わってくる。議論を中心に据えた小説だから盛り上がりが必要で、そのために余計なことまで全部書いてあるように読めるし、それがある意味、この長編を支える細かさにもなっていると思う。ザックリ書いてるようで細かいことを積み上げてるからここまで議論が盛り上がるのだろう。しかし、猫の観察と人間の登場人物の議論をユーモアと滑稽さだけで書いた小説だけだったらここまで面白くなってない筈で、そこに貢献してるのは構成だとわたしは思ったのだが、まあ、まだ一冊しか読んでいないので、そのあたりのことはこの先の全集を読み進めていけばわかることかもしれない。何はともあれ、『吾輩は猫である』は、とにかく面白かった。