1/14「時間」

    本を読むことと語ることはまったく別のことで、本を語るのに本を読む必要はない。『読んでいない本について堂々と語る方法』という名著を引き合いに出すまでもなく、僕はこの本が大好きでしかし内容をまったく覚えてないのだけど大好きだったことだけは覚えている。本について上手に語れるからといって、正確に内容を語れるからといって、それは本を読むこととはほとんど何の関係もない。まったく内容を思い出せなくても最後まで読み通していなくても、楽しい!嬉しい!と読む、それ以外に読むということはない。

柿内正午『プルーストを読む生活』H.A.Bp.433~p.434

 

    このあたりの保坂和志の『小説の自由』を読んでの読書論であったり創作論であったりの充実はほんとうに見事でZINE版で読んだ時から好きな箇所で文章にも惚れ惚れしていたのだが、あらためて合本版で再読してみてやっぱり無茶苦茶良い。わたしも本は読んでること自体が楽しくて、けっきょくのところ本さえ楽しく読めてさえいれば他に何かをする必要なんてないと思っている。忘れてしまったら再読をすればいいんだから。それで楽しければいいんだから。でも今もこの日記を書いてるという事実があるように、おもしろい本を読むと何か自分も文章を書きたくなる、書いてしまう、というのもまた真実で、『プルーストを読む生活』でもこの日の日記の翌日に小説を書いてみたいという記述があるように、読書好きはどこかで創作や表現から逃れられないところがある。そしてその創作や表現がまたこのうえなく楽しい。そこからまた読書も楽しくなる。そんな無限ループ。帯にも書いてあるように〈快楽としての読書〉の無限ループが『プルーストを読む生活』にもある。

 

     連休中、趣味のランニングを再開していて、きょうは田原町のReadin' Writin' BOOK STOREにはじめて寄った。ゆっくり店内を見てるとまえから気になってて欲しかったみすず書房エヴァ・ホフマン『時間』があったので買った。吉田健一の『時間』もそばに置いてあった。時間つながりの棚っぽかった。四千円超えるわりにページ数が少なくてうすいから、ちょっとためらってしまいそうにもなったんだけど、装丁が好きな感じで、ページを開いたら『失われた時を求めて』の引用もあったりしてなんだか良さそうで、えいや、って買った。というのも、noteの今書いてる連載をやっているうちに、年齢のことを考えていると同時に「時間」という概念についても考えざるを得ない。吉田健一の『時間』を読んでいたのもそういうわけで。だからただなんとなく読んでみたいだけじゃなく、今これは資料として必要な本ではないかと判断した。で、序と第一章を読み終えて、これはけっこう生かせそうな感じで早速買って正解と思っている。ひたすら時間について思考するのは吉田健一と同じでも、生物学、文学、哲学、精神分析を横断して外の情報から噛み砕いた言葉で説明してるところがまったくちがう。つまり吉田健一よりはずっと読みやすい。吉田健一の『時間』のあの読みにくさは相当なもんで、文体の試みとしてはおもしろいけど、ちょっとどうかしているというレベル。まあでも、そこが好きなんだけど。