1/15「歌壇」

        エヴァ・ホフマン『時間』を読み終わった。一章がかなり読みやすい文章だったのに二章で硬めの評論文体に変化したのでびっくりした。しかも途中でまた文体が変化したので共訳だから途中で訳者が変わったなこれは、と思って最後にあとがきを見たらやっぱり二章は訳者が二名だった。章ごとにちがうならまだわかるんだけど、章の途中でここまで明らかにわかるほど変化するのはどうなのか。ちょっとそこが気になった。

    本自体はおもしろかった。特に文学作品から「時間」について思考するところは刺激的だった。ウルフ、プルーストジョイスの名前が出てきたが、そこからの発想で、わたしはベケット吉田健一も含めて、全部「時間」そのものを書いてる作家なんじゃないかと考えていた。「時間」はつねに過ぎ行くというその当たり前だけど、生物には止められないどうしようもなさが、あの文体に宿ってるというか。もっといえば滝口悠生山下澄人もそうかもしれない。「時間」そのものを書いてるからあの文体なのではないか。文学における「時間」と文体の関係はもう少しどこかで考えてみたいところだ。

 

    西崎憲さんがわたしの短歌についてツイートしていた。歌壇から離れたところでやってるしすごくオルタナっぽいと。たしかにわたしは歌壇とは無縁でやってきている。歌壇というより歌人そのものに知り合いがいない。完全に一人でやっている。ブンゲイファイトクラブ以外で短歌をどこかに投稿したことは一度もない。歌集を読むのは好きで、自分でやってみたら楽しかったので日課で去年からはじめていまも続けている。なのでほんとうに歌壇がどういうところで歌人がどういう人たちで、というのもよくわからない。短歌をやっていてもそれで何か声をかけられることもないので、ひたすら自分のやりたいようにやってたら現状こうなっている。こうなってしまった。たぶんそのうち一冊にまとまる量ができあがるので、歌集にしてみたいが、特にアテがあるわけではない。理想をいえばこれまで歌集を出したことがない出版社から歌集を出してもらうことができたら、あたらしい動きになりおもしろいだろうなとは思うけれど、詩集を商業出版することの難しさはある程度わかっているつもりなので、歌集も相当大変だろうなと推測している。かといって、自分で作って文学フリマや本屋さんやオンラインショップで、とも考えなくはないのだけれど、それはまた別の本でいいような気がしている。いろいろな方法を模索したい。歌集に関してはダメ元で商業出版を目指してやれるだけのことはやってみるつもりだ。

    なのでもし出版社の方で興味がある方がいたらTwitterのDMにでもお気軽にご連絡下さい。