1/19「坊っちゃん」

坊っちゃん」を読み終わった。読むのは大学生の時以来だったが、間違いなく今回の方が面白かったし、最後の一行を読み終えた時には、物語の閉じかたがあまりによくて、うるっときてしまった。

漱石全集を買った日』に書いてあったけれども、夏目漱石をさいしょに読むんだったら「坊っちゃん」がオススメだそうだ。たしかに「吾輩は猫である」よりずっと読みやすい。テンポがよく、展開もはっきりしていて、物語が動き続けている。中編サイズでもある。一方の「吾輩は猫である」はゆったりとしていて議論を中心に進むので展開が遅い。500ページ越えの長編である。なのでふつうに読むなら「坊っちゃん」なんだろうけど、こうして全集で順番通りに読んでいくとそれはそれで発見がある。「猫」で「苦沙弥」や「迷亭」といった人物がいたが、「坊っちゃん」でも「山嵐」や「赤シャツ」、「狸」などのあだ名をつけた人物が登場する。そのあたりはユーモアを帯びていて似ているのだけど、登場人物のかきわけの濃度が異なる。「猫」ではどこか登場人物が似たり寄ったりな雰囲気でそれが味でもあるのだが、「坊っちゃん」を読むと「猫」からそのあたりを意識的に改善を狙ったように読めなくもない。わたしには「猫」で議論を中心に書くべきことを書くスタイルをやったからこそ、「坊っちゃん」であそこまで無駄を削ぎ落とすことに成功したのだと思えてならなかった。それはつまり考えすぎな登場人物たちの小説から、考えよりも先に行動を起こす登場人物の小説に変化させたということで、一人称においてそれはひとつの冒険である、とわたしは理解したのだった。

    こういった名作を読み終えたあとは、たくさんある評論で中身を確認する楽しみも残されている。 

〈親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る。〉というあまりに有名な一文から始まり、ついその文章に引っ張られそうになるが、じっさいのところ、坊っちゃんの親は無鉄砲なひとたちではないし、坊っちゃん自体も己の正義感のためなら何でもしそうな雰囲気があるが、松山に行って教師になって以降は、暴れているようにみえてほとんどが事件に巻き込まれていて、自分自身からその親譲りの無鉄砲を披露してはいないようにも読めるのではないか。そのあたりのこともいずれ評論で確認してみたかった。

    つまり読み終えてもいまだに惹かれるほんとうにおもしろい小説だったということである。