8/18「文芸評論」

群像新人文学賞評論部門優秀作の田中弥生「乖離する私ーー中村文則」を図書館で借りて久々に読んだ。田中弥生の小説の読み方はそれが正しいか間違っているかはともかくとにかく意外性に満ちてて面白い。ここまで誤読を恐れない文芸評論家を私は知らなくて読むと元気になる。もっと作品を読みたかった。

    とTwitterでつぶやいたら、豊崎由美さんに引用リツイートされたりもしてて、けっこう反応があった。

    文芸評論家の田中弥生さんは2016年に若くして亡くなっている。「乖離する私」を読んで以来、ずっと注目していた文芸評論家だったので亡くなったと知った時はショックだった。単著は『スリリングな女たち』の一冊だけだがこの本もタイトルのようにかなりスリリングな文芸評論になっている。田中弥生の読解は、論のメインになるアイディアが破壊力があるのが特徴だ。ミステリで例えるならエラリー・クイーンのように美しく細かいロジックで詰めていき感心させるのではなく、ディクスン・カーのようなインパクトのあるトリックを放って驚かせて風呂敷を広げあとはやや強引に畳むみたいなイメージ。突拍子がないのだけど想像力豊かで楽しいアイディアは、ちょっとそれは強引だし無理があるのでは?と読んでいて納得いかなかったりハラハラしたりすることもあるのだが、マジックというよりイリュージョンのようなスケールの大きさで小説を読解するさまは、とにかく読んでてワクワクできて楽しい。わたしに小説を読む楽しさを教えてくれた書き手なのは間違いない。こういうふうに作品を自分の側に引き寄せて評論を書いたら楽しいだろうな~、と思っていたことを久々に思い返して、自分でも文芸評論をまた書いてみたい気持ちが出てきた。一応、今年は初めて群像新人評論賞(今年で終わりとのこと)には応募していて、すばるクリティークにも出してみたいと思っていたが、なんやかやいろいろやっているうちに〆切の二週間前になってしまった。このまえ、短歌の笹井宏之賞に応募したので満足して公募はもういいかな~と思ってしまったのもある。でも思い立ったが吉日というし、やりたいときはやる、というのが自分のスタンスなのでどうなるかわからないが、8/31の〆切の日は有給を取ることにした。まあなんかそんなノリだ。楽しく創作するのが一番なので今はそんな状況。それにしても読書に関して文芸評論や批評を読むのが、どんどん好きになってきている。小説とちがって一回で理解できることなんてないから何度も読み返したい。『スリリングな女たち』もそうだが、山城むつみ『文学のプログラム』や佐々木敦『私は小説である』は今後もずっと読んでいくんだと思う。